巻頭言
2009年3月


2009年3月1日

「モ−セの生涯」

牧師 犬塚 修

「『誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト 人を殺したように、このわたしを殺すつもりか』と言い返したので、 モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。ファラオはこの 事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を 逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろし た」            出エジプト記2:14〜15

イスラエル人として生まれた一人のみどり児が、ナイル川に流されま したが、奇跡的にその命は助けられ、エジプトの王子として育てられ ました。しかし、自らの出生の秘密を知った若き日のモ−セは同胞の 苦難に目をつぶることができず、愛と義の心に満たされて助け出そう とします。ところが、彼らはモ−セに感謝するどころか、逆に非難し てきたのです。そのことは、モ−セにとっては、耐え難い苦しみとな り、彼はついに王子の位を捨て、世捨て人のようになって、エジプト から逃れ、ミディアンの地に行くようになりました。 人生に失望、 落胆した40歳のモ-セでした。この新しい地で、神は彼に新たな道を 示されます。それは、人間的な力で、生き抜くのではなく、神の言葉 のみに信頼して生きるという信仰の道でした。 私達の人生でも、忘れられないほどのショックを受ける言葉があるか もしれません。それは私達を絶望の淵に突き落とします。モ−セの場 合は、殺人者扱いされるという非情な一言でした。この一言で長年、 彼は苦しむことになります。そのトラウマから解放されるためには、 もう一つの神の直接的な言葉が必要でした。それが「わたしは必ずあ なたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしであ る」(3:5)でした。「全能の神が自分と共におられる」という確信が 、彼を復活の人生へと導き出したのです。



2009年3月8日

「空の鳥のように」

牧師 犬塚 契

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めも しない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたが たは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、 思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか 。…だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思 い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 マタイ6章

マリアの胎が聖霊によって身ごもり、イエスキリストが誕生した。処 女懐妊である。この出来事は、2000年間、ある人には躓きとなり、あ る人には希望となってきた。最近、「目に見える世界」に「目に見え ない世界」が介入した接点が処女懐妊なのだと読んだ。長い歴史の中 のあの一点を受け入れることは、今日も出来事の裏側が広がっている と認めることに繋がるのだと思う。だから、私にとっては有り得る話 しでないと困る。時々、切にそう思うのである。▲難しい数日を過ご している時、見える世界が迫って苦しく思った。踏み段の低い階段を とぼとぼと上がると、3羽のスズメが前で戯れていた。手を伸ばせば 届きそうなところで、春の日差しを楽しんでいた。…で「空の鳥をよ く見なさい」を思い出した。上記の聖書の言葉である。10年後の事ま で考えて悩むのは、大きすぎる。今日は、今日の分だけ生きて、明日 を待とうと。▲クリスチャンたちは、一日を神にささげる日として生 きる。時に丁寧に、ある時は手を抜いてしまっても、ラップに包むよ うに一日を包み、恥ずかしながらも礼拝の一日とする。そんな人生と する。▲定額給付金。「パァー」と使って、消費を刺激するのが正し いらしい。しかし、浪費がそんなに人を幸せにしないことにみんな気 が付いている。空の鳥を羨ましく思った。



2009年3月15日

エゴ・エイミ(わたしです)

牧師 犬塚 修

「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言 う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。 ヨハネ9:9

生まれつき目が不自由であった男が、イエス様によって開眼された 時のこと、近所の人々は、余りの変化に驚きあきれ「お前はあの物乞 いか?」と尋ねました。男は「その通りだ」と答えます。これはギリ シア語で「エゴ・エイミ」と言います。「私である」の意味です。こ れは重要な一言です。男は自分の過去・現在・未来を受け入れ、その 上で、逃げも隠れもしない自分がいる、本当の自分がここに生きてい ると宣言しています。もし、彼が自分の過去の生活は物乞いであった ことを恥じて、隠したいと思ったならば、「No、私ではない」と答 えた事でしょう。だが、彼はさわやかにYesと言います。何一つ隠さ ず、着飾らず、清々しい自己主張がここにあります。私達は人に嫌わ れたくない一心で、ついつい自分を隠したり、良い子のフリをする必 要性はありません。自分の実力を誇示し、優れた自分の価値を人に印 象づける努力も無用です。過度に高い業績や光栄、賞賛を求めるとい う強迫観念もいりません。ただあるのは、ただ、イエス様にいやされ ている解放された自分です。今まで見えなかったものが見え、心が晴 れ晴れとなっている幸福な自分、すなわち生まれ変わった私です。過 去の苦い思い出も受容し、これから起こるであろう出来事も恐れず、 むしろ、期待し、イエス様のすばらしい導きと愛を確信しています。 「ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は、か きねを越えるであろう」(創世記49:22)



2009年3月22日

「今日、ここで証しが生まれること」

牧師 犬塚 契

この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯 されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭 われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にか なった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありま せんか。 ヘブライ人への手紙 4章15〜16節

年を重ねるとは、ゆっくりとではあっても、もう少しスマートで洗練 された者へと変革を遂げるものだと…。そんな作業は一向にはかどら ず、覚えるのは弱さといたらなさである。大事な一言はなかなか言え ず、余計な一言が口をついて出る。洗練されるとは、強さを身に付け ることではなく、弱さを知ることなのだと自らに言い聞かせて慰めを 得るようになった気がする。水が低いところに流れるように、恵みも また低くされたところに流れるならば、それもまた良しかと思う。ヘ ブライ人へ手紙の著者は、「大胆に恵みの座に近づこう」と励まして くれる。▲「神ならば、こう働くはずだ」と神様の働きを限定し、「 信仰」に似せた過剰な期待をかけ、うまく行かなければ落胆するよう な乱暴な信じ方をしていた時期を時々思い出す。まるで、どっちが神 だかわからないような。恐らくは今も繰り返してもいるのだろうとも 思う。それでも、望まなかった状況に置かれた時に、「今日、ここで 証が生まれること」を考えるようになった。どんな信仰の告白がここ でできるだろうかと。そして、「憐れみをうけ、恵みにあずか」るこ とを覚える。ザアカイにイエス様が言われた一言は、今も鳴り響いて いる。「今日、救いがこの家を訪れた」



2009年3月29日

「恵みの30年」

牧師 犬塚 修

ふじみの30年は主の恵み(祝福と赦しと憐れみ)の歴史でした。1979 年に教会自立後の10年間は、開拓伝道、また新会堂建設(建坪50坪) などがあった激動の年月でした。さらに1989年からの10年は再度、新 しい土地における会堂建設(建坪約120坪)に着手し、豊かな成長期 に入り、礼拝人数も飛躍的に増加しました。また1999年には複数牧会 も実現しました。そして、その後の10年はゆるやかな安定期に入った 感がします。今後は、変革と成長が、強く望まれます。これまでの歴 史を顧みますと、神が遣わして下さった兄姉の言葉に尽くせないほど のすばらしい奉仕と献身の姿に深い感動を覚えます。今後は、主の恵 みに押し出され、献身の民としての真実な歩み、また新しい息吹きを 必要としています。30年は大人に達した年齢です。幼児性・利己主義 性から脱皮し、成熟した信仰を抱く教会人となって、伝道に励み、「 献身者」の群れとして成長していきましょう。 以下にふじみ教会の歴史を簡単に記します。
1973年 2月  新生記念会館(秦野市今川町)で伝道開始
1977年 4月  犬塚修牧師着任
1977年 7月  伝道所は秦野市南矢名の牧師の借家に移転、犬塚修牧師就任
1979年 3月  教会組織 ふじみキリスト教会となる
1980年11月  北矢名会堂献堂式
1984年 3月  犬塚修牧師辞任
1985年 4月  山田幸男牧師就任
1987年 2月  愛甲石田伝道所を開設
1987年 8月  山田幸男牧師辞任
1989年 2月  犬塚修牧師就任
1994年 2月  東名高速道路拡幅工事のため収容移転となりホテル光鶴園(秦野市鶴巻)で礼拝開始
1995年 8月  現会堂献堂式
1999年 7月  犬塚契教育担当牧師就任
2006年12月  めぐみ館完成








TOP