巻頭言
2011年1月


2011年1月2日

「心に納めて・・・先週の説教要旨」

犬塚 契

 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して・・・そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。          ルカによる福音書2章

 過ぎる一年を振り返る。2010年の365日のすべてを覚えてはいられないが、確かにどうしようもなく落ち込んだ日、恥かいた日、失敗した日があった。また、こんな日が毎日ならいいのにという喜びの日、楽しみの日もあり、平凡な日も悔い改めの日もあった。誰もスキップせずに、早送りもできずに、それぞれが歩みをいただいた。赤ちゃんからお年を召した方々までそれぞれの懸命を生きてこられた。そして、クリスマスイブに一同一緒に礼拝に駆けつけることのできた恵みにただ感謝だった。▲選んだ聖書箇所の前のページ。ルカの1章はマリアの親戚ザカリヤとエリサベトが高齢にして子を産んだという話題だった。人々は歓喜し、踊り、町の音楽隊は楽器を存分に奏でた。山里中を巡ったセンセーショナルなヨハネの誕生だった。一方、人口調査のために住み慣れたガリラヤを離れた若いマリアとヨセフの周りには音楽隊が駆けつけることも、手伝ってくれる親戚の一人もいなかった。マリアの脳裏には、人々の笑顔に囲まれたエリサベトおばさんの出産の光景が浮かんだだろうか。耳に残る楽器の音色をうらやましく思っただろうか。そこに羊飼いたちが登場する。羊飼い達は、天上でイエスキリストの誕生を祝い、神を賛美するオーケストラを天上に見たと興奮ぎみに語った。しかし、現実、家族を取り囲むのは馬たちだった。しかし、マリアはそのことを「心に納めて、思い巡らしていた。」▲えぇい、ならば、今一度その壮大なオーケストラをこの場で見せてはくれないだろうか!羊飼いたちの前だけでなく、母となった私の目の前で演奏してはくれないだろうか!・・・マリアはそうは反応しなかった。▲神のなさることは人にすべては分からない。心を納めるとは謙虚な人間の姿であるし、人間賛美でない神賛美だと思う。



2011年1月9日

「狂気・・・先週の説教要旨」

犬塚 契

 パウロは言った。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」   使徒言行録26章         

 エルサレムで捕えられたパウロはローマの行政機関が置かれていたカイザリアに移されている。捕えられた時の総督はフェリクスだったが、彼は結局何もせずパウロを2年も監禁したままだった。しかし、ユダヤの総督がフェリクスからフェストゥスに代わる。エルサレム訪問の際に、前任者が残したパウロという宿題を知り、ユダヤ人たちからの迫りもありフェストゥスは動く。「エルサレムに裁判を受けるか?」パウロは拒否し、ローマの市民としての権利を行使して、上訴してローマに行く!と宣言する。自由人としてのローマ訪問ではなかったが、囚人としてローマにいくという大きな決意をパウロはした。もうこの事件は一総督の手を離れ、皇帝の事件として取り扱われることになった。しかし、皇帝に報告書を書くべきフェストゥスはパウロの何が罪なのかはっきり知らない。そこにユダヤ人たちの王アグリッパとベルニケがフェストゥスを表敬訪問にくる。フェストゥスは彼らとパウロを会わせて、事態を見極め報告書を書く予定だった。彼らは盛装して、華やかに着飾ってパウロに相対した。恐らくは紫色の衣を着て、額には金の輪が光っていた。それは、ローマの傀儡だとしても、せめても背伸びであり、見栄だった。総督フェストゥスも国家的儀式の際の衣を纏、場に臨んだことと思う。総督のそばには千人隊長以下ローマの兵隊たちの鎧が輝き、どんな事態にも対処できる準備があった。そこに連れてこられたのは、長い幽閉生活を強いられたパウロだった。顔色はどうだったか、彼の頬はこけたか、その両手には鎖があった。対照的なみじめな姿だった。しかし、人々の虚飾を飲み込んでしまうようなパウロの説教が響く。「すべての方が、私のようになってほしい」。▲世的な成功者の前でそう言い切る囚人のパウロはもっていたものとはなんだろうか。それは弱さの中でこそ顕されるキリストだった。何が失われても残るもの、誰が去っても残るもの。主イエスキリスト。



2011年1月16日

「丸抱えて・・・先週の説教要旨」

犬塚 契

 こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。          使徒言行録27編         

 囚人パウロのローマへの護送。いよいよのローマ訪問だったが、船は思うように進まなかった。時期が遅れて航海には適さない季節になった。パウロはいままでの難船3度の経験を生かして皆を引きとめようとしたが、そこは単なる囚人の言葉。船は強行し「エウラキロン」という台風にあって、絶対絶命の危機に陥る。27章が非常に詳細な理由はこれを書いたルカが同船していたことと、この事件からあまり時が経っていなかったからだと思う。上下左右に揺れる船内、波にきしみゆがむ船体、脅えるばかりの船員、乗客、兵隊、囚人・・・。今や、276人の船の中で元気はパウロのみである。パウロを尊敬するアリスタルコも信仰者ルカも「・・・暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。」このときの嵐の中で吹き飛んだ自分の信仰のことを後にルカは何度も思い起こしただろうし、またパウロの信仰の姿勢も心に刻まれたと思う。船の希望は、囚人パウロの信仰にかかっていた。▲パウロが初めから強かったわけではない、アテネでの伝道で意気消沈して言葉を無くしたパウロは「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。」(18章)と励まされた。エルサレムで捉えられ、周りのヘルプなく孤独だった時にも「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」(23章)今やその一つ一つの「共にいてくださる主」への信頼が、ここに至ってパウロの確信となり、立ちどころとなった。神との交わりのパイプを太くされていきたいと願う。▲パウロの信仰によって望みを繋いだ船が助かる可能性を見た時、船員たちが脱出を謀るが失敗に終わる。パウロはみんなで食事をするようした。囚人パウロが祈った。パンを裂いた。嵐の中の一体感だった。ルカが一人ひとりの数を数えると276人だった。一人も欠けてはならない立場の違う人々。神様は丸抱えておられる。



2011年1月23日

「祝福の中を・・・先週の説教要旨」

犬塚 修

 ところが、パウロはその生き物を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。使徒言行録28:5         

 ローマを目指していたパウロは暴風雨に遭い、船は難破し、マルタ島に漂着しました。島民は親切で、彼らを暖かく迎えてくれました。ところが焚き火の最中、突如マムシがパウロの手に絡みついたのです。島民はパウロは猛毒によって、死ぬだろうと予測しましたが、何の害も受けなかったことに畏怖の念を抱きました。▲私たちの歩みはどこかパウロの生き様と良く似ています。厳しいサタンの攻撃を受ける時もありますが、致命的には傷つけられません。「彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」(マルコ16:17〜18)私たちは悪魔の罠も苦難も恐れることはありません。最悪と見える試練が襲いかかっても、恐れることなく、信仰に立って、ゆとりをもって冷静に突き進むことです。さて、ついにパウロはローマに到着し、そこで二年間、▲「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」(31節)この書の最後は現在進行形で終わりますが、そこに深い意味が込められています。つまり、パウロの伝道の情熱は私たちに襷(たすき)のように受け継がれていきます。私たちは彼の伝道精神を受け継ぎ、新たに教会の歴史を刻む者として次章を書き連ねて生きたいものです。▲マルタ島やローマに滞在したパウロは、不思議にもゆったりとしています。念願が叶って、辿り着いたローマで、熱心に伝道しても、多くのユダヤ人は冷ややかな態度を示しました。しかし、パウロは余りあわてることもなく、あらゆることに自由であり、まるで鳥のように悠然としています。彼は大局から全体を見通すことができた人でした。がっかりするような事態にも一喜一憂することがありませんでした。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:31)「アメイジング・グレイス」で有名なジョン・ニュートンは新生賛美歌345番の作詞を残しました。その詩を読んだ「交響楽の父」ハイドンは後年、すばらしいメロディをつけました。ひたすら主の業に励むならば、時が満ちた時、必ず豊かな実を結ぶのです。



2011年1月30日

「源泉・・・先週の説教要旨」

犬塚 契

キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。         ローマの信徒への手紙  1章1-4節          

 パウロの時代にパピルスに書かれた数百もの婚姻契約書、法的協定書、政治文書、そして個人的手紙などが見つかっている。それによってパウロも当時の手紙の様式に従って書いたことが分かる。すなわち書き手と読み手を最初に書いた。発信者はパウロ、受信者はローマの信徒。しかし、パウロの手紙の場合はあまりに修飾語が多い。その間にいろいろと散りばめている。まず「キリスト・イエスの僕」という書き出し。「僕」とは「奴隷」とも訳せる言葉で率先して書くような言葉ではない。奴隷制のあるローマで自分を奴隷だとわざわざ公言する人もいなかった。しかも彼が主人としたのは三十年前に磔刑にされた囚人だった。しかし、パウロはこの人を救い主だと信じたのだった。どっかで拾ったのでも、思いついたのでもない、旧約聖書の中にたびたび預言され、登場した救い主の影が今やはっきりと描かれた。十字架に架けられ、復活したイエスこそが救い主だと。彼は確かにダビデの子孫から生まれた。イエスキリストの系図を辿るならば、それはダビデやその先まで届くだろう。その彼が産まれ、生き、教え、死んだ…。それだけのハナシか。否、そんな肉の世界、水平の世界、人の世界で始まり終わるのではない。「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」。霊の世界、垂直の世界、神の歴史があり、水平と垂直の交わるその場所にイエスキリストが立っておられるのだと。その方を主として救い主として信じているのだと。その方と私は関係アリなのだと。▲パウロはローマの教会の創立者でもなかったし、行ったこともなかったので、その多くの顔も知らなかったと思う。それでもあまり構わなかったのだなぁと思う。人の穏やかならざる日常と作り続ける危げな歴史。それだけなら、救いはない。ただ悲嘆だ。しかし、それを劈く神の言葉がある。源泉がそこにあると思う。


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