巻頭言
2007年1月


2007年1月7日

「礼拝と感謝」月間を迎えて

牧師 犬塚 修

むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。 一ペトロ1:1

今年、主の祝福に満たされる要因は「生活の中に聖さを求めること」 にあると信じます。「聖さ」とは「分離」のことです。自分自身を 深く汚し、堕している罪や汚れから離れることです。今までの古い 生活習慣を一変するのです。それが利己主義に凝り固まっていたな らば、その殻を脱ぎ捨てるのです。新しい試みは初めの頃は、慣れ ず、ぎこちなく、窮屈に感じるかもしれませんが、次第に心は強め られ、あらゆる面で、健康的な信仰生活が確立していくのです。  聖は思いと言葉の面でとらえると、自分を卑下したり、失敗したか らといって、自分の価値を低く見積もったりしないことです。主の 目には私たちの価値は行いの優劣ではなく、存在そのものにあるの です。また隣人に対して悪口や陰口を言わず、むしろ、ほめ、感謝 する言葉を大切にしましょう。さらに誤った思い込みや屈辱感を捨 て去り、むしろ感謝に満ちた言葉を使うように心がけましょう。 「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈 と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるが よい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の 平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守 るであろう」(フィリピ4:6〜7)とあります。 日々、聖性を追 い求め、感謝、感謝、感謝でこの一年の道のりを歩いていきましょ う。



2007年1月14日

「我の簡単な見分け方」

牧師 犬塚 契

信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさ い。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・ キリストがあなたがたの内におられることが。Uコリント13:5

なんの事だったのかは、既に忘れてしまった。とにかく腹が立ち、 情けなくなり、悲しくなった。そんな特定し難い感情の複合が腹の 奥にドンと落ちた。程無くして「30分祈ったら、それ以上は悩まな いでしょう」と言った聖人の言葉を思い出し、心の中で祈った。… で。やっぱり、まだだめだった。どうしてだろうか、信仰が足りな いのか?▲気付いたことがあった。すでに自分で復讐を決めていた ことだった。はじめから、許す気も、明け渡す気も、委ねる気もな い。自分がやりたいこと、歩みたい道は既に決まっていた。神に何 を言われようが、聖書がどう語ろうが、抜いた剣を鞘に収める気な どなかった。そして、それが「我」(ガ)だと気づいた。課題が与 えられると目をだし、槍だし、頭だす、私の我を見た。恐らく、し ばらく祈っても、まだ腹の虫が収まらない時は、自分の我が元気な ときなのだろう。▲「30分祈ったら、それ以上は悩まないでしょう 」。本当は、それがいいのだと思った。自分の時計の時間を一秒で も早く進めることのできない身。背中で起きていることも知らない 身。生まれる日も、死ぬ日も選択できない身。2007年は、「祈った らそれ以上は悩まない」一年で生きたいと思う。眉間に皴が寄って いたら、教えてください。



2007年1月21日

「上を仰ぐ」

牧師 犬塚 修

さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、 上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着 いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引か れないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたが たの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。 コロサイ3:1〜3

私たちは誰もが、突然訳もなく、昔の苦い出来事が思い出されると いう瞬間はないでしょうか。それまでは、心は喜びと平安に包まれ ていたにもかかわらず、突如、苦しみが襲いかかるのです。裏切り 、怒り、悲しみ、絶望、落胆などのさざ波が、いつしか嵐を引き起 こします。悔恨や心の傷、失意と無気力感が心の水面に漂います。 その時間をそのまま長く保つことは良いことではありません。どの ようにしたら良いのでしょうか。それは心を転じ、この地上ではな く、上(天)を速やかに慕い求めることです。いにしえの聖徒たち は皆、上を見上げて生きました。信仰の父アブラハムは夜空にまた たく星を仰ぎ、その子イサクも、父の信仰に倣いました。ヤコブは 、孤独感に震えた暗夜に、天から下ってくるはしごを見て、信仰の 目が開かれました。その子ヨセフも太陽と星の夢に見たのです。 モ−セの40年の旅は雲の柱、火の柱と共にありました。上なる天 の世界には、深い神の愛、摂理と慰めがぎっしりつまっています。 上を見る人は地上の事柄にこだわったり、しばられることなく、神 の豊かないのちを呼吸して生きるのです。



2007年1月28日

礼拝のかたち

牧師 犬塚 契

●神殿礼拝(朝・夕に行われた)… 祭壇の生贄を奉げる・祭司の祈り ・十戒斉唱・申6.11斉唱・民15斉唱・香がたかれる・祭司と会衆の 祈り・祝祷・穀物の捧げもの・注ぎの捧げもの・音楽演奏・レビ人の 詩篇歌唱
●シナゴーグでの礼拝 … 十戒交唱・申6.11斉唱・民15斉唱・18 の祝祷・モーセ5書朗読・預言者朗読・詩篇歌唱・説教・祝祷
初代クリスチャンたちの礼拝 … 祈り・賛美・罪の告白・信仰告白 ・聖書朗読・説教・聖餐式・献金・祝祷
●カルバンが立てた礼拝(16世紀) <1部> 御言葉の部…招詞・罪の 告白・赦しのみ言葉と宣言・十戒前半・祈祷・十戒後半 <2部> 聖餐 の部…献金・執り成しの祈り・使徒信条・聖別の祈り・主の祈り・制 定のみことば・勧告・陪餐・詩篇歌・感謝の祈り





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