巻頭言
2003年1月


2003年1月5日

新年を迎えて

牧師 犬塚 修

慈しみに生きる人を主は見分けて、呼び求める声を聞いてくださると知れ。お ののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り、そして沈黙に入れ。  詩編4:4〜6

創造の目的は献身であり、評判でも成功でもない … そうだ 偽りの名声に 生きてはならぬ  つづまりはこのように生きることだ  宇宙の愛を自分に 引きつけ、未来の叫び声に耳をかすのだ  …敗北と勝利とをおまえ自身が区 別してはならない。 これは旧ソビエトの詩人であったパステルナ--クの詩です。彼は無名のまま生き ること、また、隠れた献身の生き方が人生の目標と語っています。私たちは自分 の凝り固まった価値観判断で敗北と勝利を分けてしまいます。しかし、この世 での失敗は天では成功であったりするものです。要は主がどう私たちを見分け ておられるか、その一点にかかっているのです。1月は奉献、またスチュワ− ドシップ月間です。この一年、誠実な信仰を持ち続けることです。「ただし 見よ、見いだしたことがある。神は人間をまっすぐに造られたが、人間は複 雑な考え方をしたがる、ということ」(コヘレト7:29)とありますが、物事を複 雑に考えすぎて、思い煩いという暗い袋小路に入りこむことなく、むしろ、イ エス様を仰いで大胆に行動することです。「すべての重荷や絡みつく罪をかな ぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありません か、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御 自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の 玉座の右にお座りになったのです」(ヘブライ12:1〜2)今年、いかなる出来事が 起こっても、不信仰に沈む事せず、主はさらに大きな恵みを増し加えようとし ておられると確信しましょう。明るく未来をとらえ、一つ一つ奉献というレン ガを積み上げていくことです。一年がたつと、主の栄光に輝く霊の建物が築き 上げられていることを信じつつ。



2003年1月12日

最後まであきらめない

牧師 犬塚 修

かし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あな たがたは命をかち取りなさい。 ルカ21:18〜19

1996年第78回全国野球選手権大会決勝戦、松山商-熊本工は3-3で延長戦 に突入し、10回裏、熊本工1死満塁で、大きなフライがライトに飛びました。 松山商の矢野は本塁にダイレクト返球で、3塁ランナ-を刺して併殺、これはま さに「奇跡の返球」でした。一瞬のうちにサヨナラという絶体絶命の大ピンチを 逃れた松山商は、次の11回に勝ち越し、ついに優勝をとげたのでした。矢野選 手はのちに「高校野球の最後の最後で神様がほほえんでくれました」と述べてい ます。毎日の地道な練習が見事に実を結んだ信じられない奇跡でした。私たちは 毎日辛いことの連続の時があります。血ヘドをはいてまで練習に明け暮れる高校球 児の日々の修練は何の役に立つのかと思うこともあるでしょう。けれども、彼ら は、全力を尽くして一つのことに打ち込んでいくと必ず道は開けていくことを教 えてくれます。ですから、決して何事でも最後まであきらめてはならないのです。 うまずたゆまず一事に励んでいくと、すばらしい救いの出来事が必ず起こります。 ですから、今年、忍耐によって永遠のいのちを勝ち取っていきたいものです。 「あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。か えって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体 を義のための道具として神に献げなさい」(ローマ6:13)何が起こっても、 私たちの髪の毛一つも失われることはありません。主の絶大な守りを信じ、 忍耐と希望を抱いて生きることです。「イスラエルよ、あなたはいかに幸いな ことか。あなたのように主に救われた民があろうか。主はあなたを助ける盾、 剣が襲うときのあなたの力」(申命記33:29)。 



2003年1月19日

あなたは今‥‥

牧師 犬塚 修

主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか」 創世記3:9 

訪ねられる
主イエスさまは毎日一軒一軒訪ねられる
あなたがたは今 信仰の家にいますか
あなたがたは今 喜びの家にいますか
あなたがたは今 伝道の家にいますか
あなたがたは今 希望の家にいますか
あなたがたは今 祈りの家にいますか
あなたがたは今 奉仕の家にいますか
あなたがたは今 感謝の家にいますか
(河野進)
今月は「スチュワ−ドシップ月間」ですが、スチュワ−ドシップとは 「しもべ、または支配人、家令、世話役としてのあり方、道」と言 う意味です。私たちは主に召された恵みの管理者なのです。そして、 管理人に求められているものは、忠実ということです。「人はわたし たちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理 者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実である ことです」(第一コリント4:1)良い管理者は自分に任された家を忠実に 治めます。自分に任された財産を自分の思うままに、使うことはせず、 家の主人にささげ、喜ばれるように賢く用います。なぜならば、管理 者のものはすべて主人のものですから。愛する主をお迎えするために は、私たちは任された家をきれいに整えようとするでしょう。乱雑に 散らかっている所をよく掃除し、気持ちよく迎えたいと願うものです。 そのために、私たちは心を新たにして信仰の初心に立ち返ることです。 もし、不信の念や失望感、不満などの悪い感情を引きずっているならば、 それを主の十字架につけ、新しく清い心を取り戻しましょう。主から 「あなたはどこにいるか」と問われたならば、「私は今、辛い束縛感から 解放されて罪が赦された喜びと平和の家に住んでいます!と明るく力強く 応えたいものです。



2003年1月26日

奉献月間に寄せて-- 「が」でなく「で」で

牧師 犬塚 修

ヤコブはまた、誓願を立てて言った。「神がわたしと共におられ、わたし が歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせて くださり、主がわたしの神となられるなら、わたしが記念碑として立てた この石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の 一をささげます。」  創世記28:20〜22

天涯孤独になったヤコブにとって、これからどんな災難が自分に降りかか ってくるかと考えると不安と恐怖にかられたことでしょう。しかも、父ヤコ ブと兄エサウを裏切ってしまったという自虐の念、罪責感も加わり、心はボ ロボロであったと思われます。この追いつめられたヤコブに、主は深いあわ れみと赦しを持って臨まれました。「見よ、主が傍らに立って言われた。 「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなた が今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの 子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がってい くであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に 入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わた しはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束し たことを果たすまで決して見捨てない」(13〜15節)この驚くべき主の約束 に対し、ヤコブは誠実な誓願を立てて応えました。私たちの奉献信仰の本 質はここにあります。主に大切なものを捧げて生きる事は強制されてでは なくて、主への感謝と喜びの応答です。主の真実に対して、自分にできる 限りの誠実さで応えたいと願う事です。「あれもこれも自分の努力で得た」 という自力信仰ではなく、神の恵みによって生かされているという喜びの主 告白です。「私が私が」という「が」でなく「神のおかげで」の「で」の信 仰で生きる事です。


TOP